彩るのが得意な言語、日本語について語る
最近、またはまっているものがあります。
それは「言語学」。
20代のころ、私は日本語教師をしていました。
養成学校で学んだ理論としての言語学
それまで無意識に話していた日本語が、理論で説明できる。
なんとなく使い分けていた言葉に、ちゃんと理由がある。
言葉の裏には文化や生活習慣が透けて見える。
しかも言葉は生き物のように変化し続けて、誰にも止められない。
あのとき感じた「うわ、面白い…!」という感覚を、最近また思い出しています。
無意識の意識化
では、ちょっと問題です。
「〇〇まみれ」と「〇〇だらけ」。
同じような意味ですよね。
でも、本当に同じでしょうか?
言葉はまったく同じなら二つも存在しないはずです。
必ずどこかに差がある。
例を見てみましょう。
- 泥まみれ / 泥だらけ → どちらも言える
- ほこりまみれ / ほこりだらけ → どちらも言える
- 間違いまみれ / 間違いだらけ → 「間違いまみれ」は違和感がある
なぜでしょう
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「まみれ」と「だらけ」は、どちらも「嫌なものがたくさん」という意味を持ちます。
でもニュアンスが違う。
- まみれは、表面に付着して覆われている感じ。
- だらけは、個々のものが散らばっている感じ。
泥やほこりは、身体にくっつく。
だから「まみれ」は自然。
でも「間違い」は付着しません。
一つ一つ数えられるものが散在している。
だから「間違いだらけ」は言えても、「間違いまみれ」は不自然。
私たちはそんな違いを、誰にも教わらず、無意識に使い分けている。
説明して、と言われると少し困るのに。
でも確実に使い分けている。
これ、すごくないですか?
言葉は生活を映している
もうひとつ。
イカを干した食べ物「するめ」
「あたりめ」とも言いますよね
これは「する」が賭博の“損する”を連想させるから、
縁起のいい「あたり」に言い換えたもの。
他にも、
- すり鉢 → あたり鉢
- 終わる → お開き
結婚式などでは「切る」「別れる」を避けるってことは
みなさんもよく知っているかもしれませんね。
言葉は、ただ意味を伝えるための道具でなく
そこには生活や信仰、縁起担ぎ、文化が染み込んでいる。
言葉を見ていると、生活の営みがみえてくる。
子どもの言い間違いも、実はすごい
子育て中も面白かった。
「ママ、窓あいて」
(あ、活用まちがえてるな)と思いながら
「うん、あけるね」と返す。
子どもはエラーしながら、でも確実に法則をつかんでいく。
誰に文法を教わるわけでもなく、自然に習得していく。
自然習得と学習習得との違いもまた面白い。
これもまた、人間の頭脳の不思議。
おすすめ「ゆる言語学ラジオ」
なぜまた、こんなことを考えているかというと
最近、Spotifyで「ゆる言語学ラジオ」という番組を発見。
言語学の面白さをとてもわかりやすく話していて、
「ああ、やっぱり言葉って面白い」って、思います。
ほんとおすすめです。

どうして違うんだろう。
どうしてこうなんだろう。
たぶん私は、そう考えるのが好きなんだと思います。
日本語教師をしていたころは、
それを伝える難しさに嫌になったこともありました。
言葉は曖昧だし、
時代で変わるし、
地域で変わるし、
例外も山ほどある。
学問としては底なしに深い。
でも今は世界的にも難しいと言われる日本語を、
私たちは自然に習得して、自然に操っている。
説明できなくても、ちゃんと使えている。
それって、ものすごいことなんじゃないかと。
彩るのが得意な言語、日本語
ラジオ情報ですが、お守りって、なんて数えるか知っていますか?
「1個」かな、と思っていたら、
実は「1体」なんだそうです。
神様が宿るものだから。
へぇ〜、すごい。
だたの物としての数え方じゃなくて
そこには昔の日本人が感じていた神への敬意がある。
そう知ったとき、
ああ、こういう言葉はちゃんと使っていきたいな、と思いました。
最近は言葉がどんどん簡易化して、
なんでも「すごーい」とか「やばい」で済ませがちだけど、
本当は日本語って、もっと彩りを重ねられる言語なんだよな
もっと使っていかないとな。
……なんて書いていると、
「この人さぞ語彙力があるんだろうな」と思われるかもしれませんが。
いやいやいや。
私自身、語彙力が豊富かと言われたら、まったくそんなことはなくて。
むしろ「あれがさ、あれでさ、ああなってさ…!」と、
パッションだけで押し切るタイプです。
説明も、正直あまり上手じゃない。
日常会話なんて、
「すごい」「やばい」「なんかいい」でほぼ成立してます。
だからこそ、なのかもしれません。
語彙力があるから言葉を楽しめるんじゃなくて、
足りないなあと感じるからこそ、面白いのかもしれない。
日本語は素敵だ
以前、こんなコピーを見ました。
小池真理子の本は、「好き」の一言で終わる気持ちを何ページもかけて書いている。その日本語が素敵だ。
(正確には覚えてなくて、誰かわかる人いたら教えて)
まさにそうだなと思います。
小説は、「今日はいい天気だ」ということを、
何ページもかけて、いろんな比喩や情景で描く。
そこにロマンがあって、味わいがあって、余白がある。
そして気づけば、
今日の私は「日本語って素敵だ」という一言で終わることを、
こんなに長く書き連ねている。
でも、きっとそれがいい。
ことばって、おもしろい。


