キューバの旅:フィデル・カストロの死
フィデル・カストロの死
トリニダードに移動する11月26日にキューバに衝撃が走りました。
朝、起きてリビングに行くと、パパとママがTVを静かに見ていました。
なんと、キューバ革命を引っ張っていったあのフィデル・カストロさんが亡くなったという!!
昨日までまさにキューバ革命の本を読んでいて、そのカストロさんが…
今日帰国の友達からも「バスや飛行機も動くかどうかわからないから、お互い気を付けて」と電話をもらい
どうやらキューバはここ数日大変なことになりそうだなぁっと不安がよぎった…
しかし、報道陣がカストロさんが亡くなった切迫した表情で伝えるTVを、パパとママが静かに冷静に見ている姿は、少し妙で、なんだか平田オリザさんの作品を思い出しました。
まぁ90歳ですし、少し前から体を壊されていたから みなさん心の準備はできていたということなんでしょうか。
国民に愛されていたフィデル・カストロ
しかし、なんてタイミングなんだ!
キューバの歴史に残る1ページに立ち会うことができるなんて…
街の様子や国民の様子を見てみたいなぁと思いバスターミナルまで5Kmを歩くことに
革命広場のすぐ横。あれ、この前きたときにあったっけ??
スペイン語わからないけど「フィデル・カストロ」と書いてかる…これ死を悼んでの弾幕だろうか?
(帰国後 調べたら「あなたの光と影を再び、あなたの名前ただその名前、フィデル・カストロ」のような意味でした)
民家にも国旗や写真を飾っている家が多かったなぁ
それだけ国民に愛されていたということなんだろうなぁ。
街中も、騒いでいたり、暴動がおきたりってこともなく いたって通常どうり。「あれ、そんなもんか」
みんなも あぁ、ついにこの日が来たのか という感じなんでしょうか。TVの中の人たちは、感情的にインタビューに応じていたけど。
政界から一線から退いたとはいっても、革命の当事者ですよ!う~~ん 少し温度差を感じた。
こちらはトリニダードの街
90歳の誕生日を祝っての言葉かな。
(自作 翻訳「フィデルは勝つために生まれてきた、負けるためではない」って感じ?)
とはいってもいたるところに、フィデル、フィデル…
キューバ革命後、経済的には苦しい面もあっただろうけど みんな本当にフィデル・カストロさんを尊敬し愛しているんだね。
それだけ、彼が偉大な業績を残し、みんなを幸せに導いたかという答えのような気がした。
愛国心がとても強く、社会主義だからなのか?独特な一体感を感じた。
音楽とお酒のないキューバはキューバと言えるのか?
夜ごはんの時にビールを頼んだら、なんだかスペイン語でバーーって言われて最後に無いと。
???田舎の地元食堂って感じだったから、「あ、仕入れ忘れたのか」とか思って、「じゃぁ、ラムください」と頼むと
またまたスペイン語わからないだろうけど、どう伝えたらわかんないからスペイン語で話すねって感じでまたバーーと言われて最後に無いと…「あれ?おかしいぞ、これは仕入れ忘れじゃない、まさか、まさか、、、まさかの自粛ですか!!!」
やっと理解した私。
ちなみに、あきらめきれずに、ほかの店で聞いてもやっぱりお酒はない。
どこに行っても無い。売ってくれない…"(-""-)"
「これ、いつまで続くんだろう。私、絶賛休養中で昼からでも飲んでもいい立場なのに…」
そしてこの日から1週間、レストランなどではお酒の販売を自粛し、キューバのかなめという音楽も無し。
キューバでお酒と音楽が無かったらどうするの~~~( `ー´)ノ観光客だけはいいじゃ~ん
社会主義そんなことはできないよね。
はい、あきらめます。もとい…私もフィデルさんへ追悼の念をもって、おとなしくしておきます。
日本では天皇が亡くなった時に、ここまで自粛することはないだろうなぁ。
いいとか、悪いとかではなくて、それだけ愛され支持される人ってすごいなぁ。
あぁ~、トリニダードの名物お酒「カンチャンチャラ」と毎晩演奏が聴けるという「Casa de laMusica」楽しみにしていたのになぁ~なんなら、ちょっと踊れるようにと、ハバナでサルサレッスン受けたのに…意味ないじゃん( ;∀;)
音楽とお酒がなくちゃキューバと言えないでしょう。
普段なら、あちこちでバンドが演奏し、観客まで踊り始めて、町中音楽で満ちあふれているキューバ
キューバサルサ~~~感じたかったなぁ~~~~
夜はとっても静かなキューバ。逆に珍しいね。こんなキューバ二度と見れないだろうな。